■諦める予定なし

大分blogの方を放置していた。

Twitterの使い方を学んだ為、そちらに大概一元化した結果とも言える。

 

Twitterでも触れた通り、小説「真夏の空席」の執筆、及び表紙・全話扉絵・挿絵の自作というはじめての試みに挑戦した。

これにはかなりの労力と時間がかかったが、今の私に出来る事はしたと言える作品に出来た。

 

加えて、更に長編となる予定の本編執筆。

公式には設定のみ公開されている状態であり、プロット・ストーリー、結末は私が考える必要がある。「真夏の空席」執筆前に、全体の大枠は作っていたし、本blogにもあれこれと書いている。

 

しかし、9万字程の中編を書き上げた今、この数倍の長編に取り組むのに足りない部分を多く痛感している。

これは急げ急げでやるのではなく、腰を据えてじっくりと取り組まねばならない。

これには多くの準備を要すると直感した。それは

 

▼日中の仕事をこなしつつ、続ける為の体制作り。

▼書きつつも作品を完結するまでが長い事により発生する課題。

▼規模が大きいが為にプロットや構造構築ばかりになり発生する、小説を書きたいのに本文が一文字も書けない不毛感・文章執筆要求。

▼作品としてひとつ仕上げたいという創作欲求。

▼創作行為のみに注力した結果気づくインプットが足りない事という実感。

 

である。

 

体制、執筆技術、インプット。

これを準備してから取り組む必要があると考え、現在も進めている。

 

特に“創作活動そのもの”の、自身の体制の見直し。

これに注力している。

 

最近投稿している短編や企画への参加、Twitterへの私見のつぶやき、イラストの投稿等、テキスト以外の創作行為を行っているのもこの一環だ。

私はこれからどういう形態で創作活動をしていくのか、どうすれば続けていけるか、どうすれば作り続けられるか、創作していけるか。

 

私は、創作行為とは理性を越えた生理レベルの根源的快楽だと思っている。

だから本能のままに、ただ楽しく続けられれば良いのであって、その他の問題課題は、その他の方で個別に解決すればいいと思っている。

 

では何故わざわざ体制だ準備だという話になっているのかと言えば

それは「ただ楽しく続ける」事が、今のまま創作行為を続けていては厳しいと感じたからだ。

「ただ楽しく続ける」為にこそ、今面倒でも労力がかかっても、日夜その準備をする必要性を痛感しているからだ。

 

 

なので粛々と、準備を進めている。

これは「PARALLEL/CYGNUS」本編という私にとって大切な長編を執筆する為の準備であり

同時に、私の「創作行為・活動」そのものの見直しでもある。

 

▼体制作り

▼今までに触れて感銘を受けた作品の見直し

▼創作技術の勉強

▼古典作品等のインプット

 

今考えているだけでも、これだけある。

更に精神衛生の観点から、意図的に別ベクトルの作品も作る事にした。

小さくてもひとつ何か作品を作り上げるだけで、かなりストレスはなくなる。ひとつに取りかかりそれしかやらない、そしてその進捗がスロースピードであるという状態は、私にはどうも良くないらしい。

短期なら有効な場合もあるが、それ以上長く取り組む場合、四六時中そればかり考えてしまい疲れてしまう傾向が自身にある事を自覚しつつある。

思い詰めない為にも、様々な作品に触れ、作り、離れて近づいてを繰り返しながら気負わず長編執筆に取る組むのが良い。

そういう体制で行こうと思っている。

 

そんな訳で、大分足の長い話になる。

長編執筆を機会に自分の創作に関するあれこれを見直しているのだから、時間がかかって当たり前だとも言える。

 

加えて(先日Twitterで書いたように)最近ひどく体調を崩した。

あれは本当にひどくて、流石に生活習慣を改めようと思い、色々動き始めている。

※そう言いつつこんな時間に記事を書いている。次からは控えねば・・・・・・

無理は出来ないという事だろう。そして、焦っても何も良い事はないと病床で痛感した。やれる事をやるばかりである。

 

「真夏の空席」投稿完了から2ヶ月程度だが、その間に大分多くの事があったと

ここに書いてみて改めて思う。

実はここに書くまで、進展が中々思うように行かず、牛歩の感覚を日々抱いていて意識の重荷になっていた。

しかしこうして書いてしまえば何のことはない、色々とやってはいたのだ。

 

気ばかりが少し、急いていたのかもしれない。

どうせ誰に急かされているでもない、自分でも自分を追い詰めても仕方がない。

 

無論、すべてではなくとも急ぐべき事項はある。

だが、何が急ぎで何が急ぎでないか見極め、大局的に考える視点・意識を持つところからがスタートだ。

 

 

思いつくままに深夜テンションで書き綴ったが、書いてしまえば色々と自分の中でも整理が出来た。

とにかく、書き手である自分さえ長い目で見ねばならないと自覚せよ、という事だ。 

 

そして、私はやはり書きたい。

この長い長い構想の果てに、せめて形にしてやりたい。そう思わずにいられない。

 

故に、本編の執筆を諦める予定は今もなお、ない。