■創作過程における不毛感に対する解

言ってしまえば、工程を晒すか否かである。

完成形に対するスタンス。
内情を吐露したいという欲求。

問題は、これが二次創作であるという事。
すべての反応が未知数である事。
ただ、無為にしたくないという事。

私はこの工程を晒して、何を確認したいのか。
ここまで作っているのに、未だ形に出来ていない、出来切れていない不毛感か?
確実ながら牛歩的な進捗への、反応を得たい、否、足跡を記したい衝動か?
懸念しているのは、無反応に対する不安か?
そして、それさえも最早考える余地が無いほどに、この工程を綴らねば折れてしまいそうな自身の状態を懸念している自分もいる。
創作していると混乱してしまう、容量の小さな自身をまずは自覚せねばならない。

本来、自身が誰よりも満足して、机の引き出しにしまっていい程のものを形にするスタンスだった。
品質としてはそれが正しいと今も思っている。
では、スタンスとしてはどうか?

あぁ、何を迷っているのだろう。
全体が出来ないから、部分公開もままならないのだ。
重要な部分が出来ていないから、取り下げる事態になるリスクを恐れている。

根本がきちんと出来ていれば、いくらでも“やりよう”はあるのだ。
すなわち、そこに至るレベルの構築が出来ていない。

ならば、目標はまず
そこであろう。


更に言えば、工程なのだから
後に予告無き変更をする事も
いとわない姿勢が健全なのかもしれない。

創作家のTwitterやブログにおける工程公開やその心情吐露は、精神衛生において実に有効な手段と言える。

何よりも避けるべきは、筆を折る事だ。
これを回避する手段は、積極的に取るべきである。