■作中の言語

PARALLEL/CYGNUS内では、基本的に英語(厳密には、現代の英語とは異なる)が話されている前提となっている。
英語以外を話すのは、同語圏の者同士が会話する時であり、それも特に表記は変えていない。

語学関連に詳しい方からは指摘を受けるかもしれないが、ご了承いただきたい。
※また、私は英語が大の不得意である。たぶん真面目な中学生に及ばないので、なおのことご勘弁願いたい。

別段英語である必要性も、実は感じていない。
ただ国際共通言語で話している、という前提が成り立てば良い。しかし、実用言語としてエスペラント語が機能していない以上、デファクトスタンダードとしての英語は存続すると考えた。

本作の世界では、翻訳機さえとうに浸透し、その上で義務教育段階で、掛け算割り算が出来るのと同じ扱いで、日常会話ができるレベルの英語が身についているという社会前提がある。
言語は何を専攻、あるいは話せるというのは、専門家や研究者が語ることが主であり、他言語でできる表現は英語で(多少悠長であっても)表現可能な“工夫“が成されており、もはや言語の優劣など議論にならない世界を背景にしている。

だから俳句も短歌も英語で出来るレベルの“言語互換性“を持つ“改造された英語“が、事実上の世界標準となっている。

この為、現代において我々が知る英語は、キングスイングリッシュ、すなわちイギリス英語と同じ扱いに、本作の世界では位置づけられている。
アメリカ英語として、日本では古い本に出てくる程度になっているだろう。
現代で言えば、明治大正の頃の文章を今読むような感覚だろう。表現も違い、堅くあるいは省略して書かれた文面は、仮に読めても時代背景や文化の前提を知らなければ面白さが分からない。クセのあるオールドな言語であり、最早日常会話では使えないものという認識が一般化している。

そも、読みと発音が異なる時点で日常言語として受け入れられないとされているかもしれない。
日本語では”あ”の読みは”あ”であり、発音も”あ”である。即ち一致している。
しかし英語の場合、例えばRの読みは”アール”だが、発音は”ア゛ー”になる。文字としての読みと、発音が一致しないのだ。だから初見の単語は読み方が分からない、らしい。
※この知識はyoutubeの動画「知らないとヤバイのに日本人ほとんど知らない英語の仕組み」(制作:ICHIRO氏)より学んだ。

少なくとも私はこれで、法則性の無い英語に挫折した。学生時代、私の苦手科目は何よりも英語だったのである。暗記文化も気に食わなかった。タイムマシーン3号の「As soon as」ネタで存分に笑う。